糖尿病じゃないのに糖尿病の薬?
先日、患者さんが糖尿病ではないのに糖尿病の薬を処方されています、と来られました。
お薬はある病気に対して開発されたものの、使用していくうちに別の効果に優れていることがわかることがあります。もともと糖尿病のための薬が最近心不全にも使用されることになったお話しです。
糖尿病とは血糖値(血液中のブドウ糖)が慢性的に高くなる病気です。血糖値が下がるといけないので、人間にはもともと血糖値を上げる仕組みが備わっているのです。食料に困った時代はそれでよかったのですが飽食の時代になり今度は血糖値が上がりすぎて困っているのが糖尿病です。
糖尿病ではインスリンの分泌量が減少したり、インスリンの働きが弱くなったりするため、血糖値が高い状態が続きます。この状態が長期間に及ぶと全身の血管に障害が起こるようになり腎臓、目、心臓などに病気をもたらします。
血糖値を下げるために工夫された様々な薬が開発されてきました。しかし血糖値を下げるだけが目標ではなく、糖尿病の合併症である心血管合併症や心不全発症を低下させることが本来の目標です。
SGLT2阻害薬というのが2014年から日本で使用されるようになりました。これは腎臓での糖の再吸収を阻害し、インスリンとは関係なく尿から糖の排出を促進する薬です。1日に大体70g、300カロリーのブドウ糖を尿から出す働きがあり、この薬を用いることで体重が約3kg低下するといわれています。近年この薬を使用することで心不全の予後を改善させることがわかってきました。
心不全とは一般的には「心臓が悪いために、息切れやむくみが起こり、だんだん悪くなり、生命を縮める病気」と定義されています。高齢者がちょっと動いてフーフーするのは 心不全のことが多いです。原因としては高血圧、冠動脈硬化症、弁膜症、心筋症、不整脈、加齢その他が複合的に加わり心不全になります。糖尿病の合併症としての大血管病変も心不全に悪影響を与えます。一旦心不全を発症し入院すると、その後徐々に心不全入院の頻度が増えていき、最終的には死亡します。
心筋梗塞の多い欧米と異なり、日本人での心不全患者は高齢者がほとんどです。なおクリニックでの高齢者とは、定義の65歳ではなく、大体80歳以上を指します。特に女性の場合90歳をこえて心不全が初めて発症という場合もあります。
さてもともと糖尿病治療薬であるSGLT2阻害薬ですが、まずは心血管病のある糖尿病患者にSGLT2阻害薬を投与すると心血管死亡、心不全入院を有意に改善したというデータが得られました。
次の段階として、糖尿病の有無にかかわらず心不全の治療薬になりうるかどうかの臨床試験が行われました。心不全患者で標準治療が行われている群にSGLT2阻害薬を投与すると、糖尿病の有無にかかわらず心血管死と心不全入院は有意に減少した、との大規模臨床試験結果が相次いで発表されました。
糖尿病患者でなくても心不全治療にSGLT2阻害薬が有効ということが分かったのです。そして本邦および海外の心不全診療ガイドライン(医師が病気を治療するときの指針)において、SGLT2阻害薬は標準的または基本的治療薬として考慮されるべき、と位置づけられました。
ではなぜ糖尿病の薬が心不全に対して効果があるのか、その作用機序は確定的なものはまだありません。SGLT2阻害薬が有する利尿・体液減少作用、軽度の血圧低下作用、腎負荷減少作用、血中ケトン体濃度上昇作用、エリスロポイエチン増加作用、交感神経や一酸化窒素活性に対する作用など複数の作用機序が考えられています。
心臓がパンパンに腫って水が溜まる心不全の治療として、少し詳しく説明すると、1980年代までは利尿剤、ジギタリスが中心でした。1990年にACE阻害薬投与で心不全の生存率が著明に改善することが示されました。その後β遮断薬、ミネラルコルチコイド受容体拮抗薬の有効性が示され心不全の治療はACE/ARB+β遮断薬+MRAの3剤併用が基本治療となりました。(第一次パラダイムシフト)そして近年ACE/ARBにかわってARNIが誕生し、ARNI+β遮断薬+MRA+SGLT2阻害薬の4剤併用療法(第二次パラダイムシフト)が確立したのです。
こんな良い薬ができたのだから心不全の患者さんは減少してるんですか?というと答えはノーです。私が医者になった頃は循環器病棟で心不全での入院はせいぜい2割程度でした。徐々に心不全患者が増えて最近では、病院により差はあるものの、循環器病棟の約半分が心不全入院といわれます。
1980年代と比較して女性の寿命は約9年伸びました。私見を交えての話ですが、高齢女性は80歳までは心不全は起こしにくいのです。すなわち1980年代は心不全になるまでに寿命が尽きていました。癌の好発年齢を通り越して、それ以上生きると間違いなく心臓・血管系が痛んでくるので、現在のように心不全患者が激増しています。2030年までは心不全が増え続けると推測されています。新たな薬が次々と開発され、我々循環器医は新たな武器を手にしましたが、今後増え続ける心不全に対して上手く闘っていかねばなりません。
糖尿病でないのに糖尿病治療薬が入っていても、かかりつけの先生がしっかりあなたの心臓のことを考えてくれているのです。ご心配なく。