病理解剖

解剖というと司法解剖のイメージがありますが、今回は病理解剖(剖検)についてのお話しです。解剖には人体の構造を調べるために医学教育で行う正常解剖、病死した人の状態や変化を調べるための病理解剖、そして変死体の死因を突き止めるための法医解剖(司法解剖と行政解剖)の三つがあります。
病理解剖の主な目的は死因や病気の成り立ち、病態を解明することにあります。そして今後の診断・治療のために医師同士が情報を共有します。死亡退院された場合、担当医がご遺族に剖検の目的を説明し、承諾が得られると、病理医または病理解剖資格を持った医師が剖検を行います。ご本人が生前に病理解剖を希望される場合もあります。解剖する症例は特殊な病気だけではなく老衰に近い形でお亡くなりになった方もすべて対象になります。ある程度の規模の病院や大学病院は院内で独自に行いますが、小さな病院でも病理解剖を大学に依頼する場合があります。

病理解剖の率(死亡退院した患者数、分の、剖検数)は年々減少傾向にあり、最近のデータでは約3%にとどまっています。30年前私が研修医をしていた病院は内科で死亡退院された方の剖検率が70%もありました。自分が担当していた患者さんだけではなく全症例の解剖に携わり週2回程度、病理解剖を行う機会がありました。すべて病死ですが、病気を治療しつくしてお亡くなりになった患者さんの全身の様子を体の内側から勉強させていただくことができました。

一般的な病理解剖の手順です。まず頸部、胸部、腹部の皮膚を切開します。胸部は大胸筋を剝がしながら皮膚を大きく開けます。腹部は腹膜を傷つけないように腹部脂肪を剥がしながら胸部と同様に皮膚を剥がします。次に骨切りハサミで肋骨を切断、胸鎖関節にメスを入れて胸骨肋骨を取り除きます。その後腹膜を切開し腹部臓器を大きく開けます。胸部、腹部観察したのち両側の肺を切除します。心臓を取り去り、血液を十分出したのち、頸部から用手的に舌、咽頭から剥離し、脊椎に沿ってほぼすべての臓器を取り出します。骨髄を一部採取し、その後綺麗にしてからお体を縫い合わせて元の状態に戻します。脳に明らかな病気がある場合は開頭といって頭蓋内を調べる場合もあります。解剖する際に、マクロ所見といって解剖時に臓器を観察してわかる所見と、ミクロ所見といって剖検後臓器を切り出ししたのちホルマリン固定して後日顕微鏡的に観察して解明される所見があります。大体は剖検時のマクロ所見で判断できることが多いです。

人の体は加齢とともにハリ・ツヤがなくなりますが、体の内部でも同様のことが起こります。若者と比較して高齢者の臓器はみずみずしさがなくなります。長く使用したポンプである心臓は拡張、肥大し、血管は古い水道管と同様にゴミが溜まってきます。尿を作り続けた腎臓はやせ細り、膵臓や肝臓も元気がなくなってきます。臨床の検査データで若年者と高齢者が同じであるはずがありません。

癌でお亡くなりになった方の剖検では原発巣、転移巣を詳細に観察するのですが、癌が大きくなると臓器が癌で置き換わってしまうように進展します。後日の顕微鏡でのミクロ所見では肉眼所見では観察できなかった、ありとあらゆる臓器に微小な転移巣がみられることがあります。造影CTでも癌の広がりはある程度確認できますが解剖して初めて癌の激しい進展に気づかされることが多いです。
癌に関しては、癌ができてから肉眼的に確認できるようになるまで数年かかりますが、一旦確認できるレベルになると1~2年で大きくなります。とにかく早期発見して取り除くことが大切です。そして、遺伝的なものはあるにせよ癌にならない体作りが重要です。

心臓、血管を観察する際はまず大動脈を切り開きます。この際同じ80歳でもホースのようにきれいでしなやかな大動脈もあれば、ハサミで切れないように石灰化し内部は潰瘍だらけになった大動脈もあります。心血管系の病気でお亡くなりになった方は当然血管が痛んでます。さらに血液透析をされていた方は石灰化を超えて血管が骨化している像もよく見られましす。「人は血管とともに老いる」という言葉がありますが、生活習慣、血圧などでここまで差がついてしまうものかと驚きます。
心臓では表面の冠動脈、心筋、弁を観察します。臨床的には動きは心エコー、冠動脈の形態はCT、機能的にはシンチやMRIで観察します。解剖時に静止した心臓をみても得られる情報は少なそうに見えますが、顕微鏡的に観察すると心筋細胞そのものの異常や、周囲の線維化、細胞浸潤など解剖でしかわからない所見も多いのです。
その他の臓器の観察も詳細におこないます。

病理解剖は以上のように行われます。医療技術の進歩で生前診断はある程度正確になりましたが病理解剖で初めて見つかる病気も少なくないとされています。臨床医がCTひとつ見るにしても、グレースケールの画像のみで判断するのではなく、今までの経験で得た手術所見・内視鏡所見、そして病理解剖像を頭の中に描きながら画像と一致させ総合的に診断し治療に役立てる必要があります。どのような経過で死亡に至ったかは解剖して初めて明らかになる場合もあります。臨床現場においては常に最善と思われる治療を行っていますが、どのように効果がありどこに効かなかったを明らかにします。そして剖検で判明したデータは貴重な医学データとして日本病理剖検輯報に登録され日本の医療の進歩に大きく貢献しているのです。